当事者研究ブログ:大人の頭蓋骨縫合早期癒合症

頭蓋骨縫合早期癒合症(軽度三角頭蓋)と高次脳機能障害(容量性注意障害)についての当事者研究のノートです。言語性ワーキングメモリと日本語(右側主要部の規則)の関係について研究しています。目的①頭蓋骨縫合早期癒合症を成人症例、生活史を記事としてまとめること。目的②特異的言語発達障害の当事者研究をもとに、日本語が日本人の思考に与える影響(サピアウォーフ仮説)を考察すること。

日本人の国民性と言語相対性仮説(3):非論理的な日本語語順による思考に対する影響は公的自己意識の強化

キーワード:サピア=ウォーフの仮説(言語相対論)、語順、自殺、同調圧力、国民性、べき思考、注意資源、主要部後置型、ワーキングメモリ、短期記憶

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atama-psycho-linguistics.hatenablog.jp

サピア=ウォーフの仮説に基づく日本語語順が思考に与える影響の先行研究は存在しない?

言語が話者の思考を規定するという内容の仮説が存在します。言語相対性仮説(通称、サピア=ウォーフの仮説)の内容を、認知心理学の表現をもちいて言い換えれば、言語が知識、思考の枠組み(スキーマ)の形成に相対的に関与し、その結果「世界の認識、思考のメカニズム」に違いが発生するのではないか…という内容です。

Sapir,E、Whorf,B.L(サピア=ウォーフの仮説)の「言語相対性仮説」とは、母国語となる言語によって語彙や構文法などには偏りがあり、このことが民族的な認知・思考の偏りを支配しているという説です。
この仮説には、「言語が人の思考を支配する」という強い仮説と、「言語が思考の傾向に影響を与える」という弱い仮説があります。*1

代表的な言語相対性仮説の例を挙げると、色彩語彙が挙げられます。直接認知にかかわっているのは感覚器官であることにまちがいはありませんが、話す母国語によって認識できる色彩数が異なるという研究があります。

言語が思考に影響を与える現象は、色彩語彙に代表されるような、語彙がスキーマ形成に影響を与えるという現象だけではありません。もちろんこれが主流ではありますが。難しさといった言語の性質を評価するための尺度には、以下の4つの要素が挙げられます。

  • 音声
  • 表記
  • 語彙
  • 文法

言語学の研究は、主に上記の要素を考察するものであり、サピア=ウォーフの仮説が主題となる研究もそれに含まれます。色彩語彙の研究のように、語彙が思考に与える影響を考察した研究は結構多いです。一方で江原暉将氏によると、文法が思考に与える影響を考察した研究は少ないようです。

言語が思考パターンに与える影響についてはサピア・ウォーフ仮説として有名であり、さまざまな研究があるが、「語順」が思考パターンに与える影響についてはあまり研究されていない。*2

ここでいう「文法」とは、語順のことです。広義の文法はほかにもあるようですが、狭義の文法は語順のみです。

私は、サピア=ウォーフの仮説の論争についての詳細を知りませんが、言語が思考に影響を与えることについて賛成の立場です。そして私が関心を持っていることとは、日本語の語順(名詞と助詞の順番も含める)が日本人の思考に与えている影響です。

序論(極論):日本語の語順は「自殺文法」?

表題の「自殺文法」は、伊藤計劃の「虐殺器官」に登場する架空の観念「虐殺文法」をのパロディーです。極端な表現を使用しているので、積極的に使用したいとは思いませんが、「自殺文法」を用いた理由はしっかりと存在しています。日本語のSOV型語順と日本人の思考様式、または国民性に、因果関係とまではいかなくとも、相関関係があると私は考えています。私の持論を簡単に言うと以下の通りです。

「日本語の主要部後置型語順は、使用者に対して公的自己意識が過度に高い思考様式をもたらす」

文の表出、すなわち書いたり話したりする側の観点で説明すると、主要部後置型語順の言語では、主要部よりも先に補部の表出を優先しなければなりません。この現実のみだけでも、日本語の語順が難しいものであるといえる根拠であるといえます。言語障害を抱えない日本人にとって、日本語語順の難しさを自覚することは至難であることは仕方がありません。しかし、難しい語順の言語を扱うことが簡単な語順の言語を扱うことよりも脳にフレンドリーであるはずがありません。

「日本人の国民性が公的自己意識が過度に高いことに起因する」ことについて説明した記事は、以下のリンク先です。

atama-psycho-linguistics.hatenablog.jp

日本は衛生面、経済面、エンタメ的にも恵まれた環境にある先進国であるはずですが、その日本について「息苦しさ」や「生きづらい」と感じる日本人は少なくないようです。特に、日本は若年層の自殺件数がワースト1位の先進国です。このことから、日本人は発展途上国とは異なる性質のストレスが過多であること、そして特に自我が形成されていない思春期、青年期にとってマズい状況であるといえます。

日本人が直面しているリスクファクターとは、文化的な物であるといえます。代表的な概念として挙げられるのが、「同調圧力」や「忖度」です。つまり、相手と協調するために「同じ行動を取るべき」とか「相手の心情を理解するべき」という「べき思考」(強迫観念)です。同調圧力という「べき論」は「べき思考」の大元となる公的自己意識に作用します。この時、同調圧力の内容が自分の欲求、つまり私的自己意識と真逆だったときにストレスが生まれます。

こういう同調圧力や忖度に対する「べき思考」が強い人は、常に以下のような気持ちを抱えているといえます。

  • 「相手からどう思われているか」
  • 「相手からよく思われたい」
  • 「相手から嫌われたくない」

特に、「相手からどう思われているか」とは不安感情であり、そして一次的感情です。この一時的感情を引き起こす原因として、公的自己意識が提示されています。そしてその結果出現する思考様式が「べき思考」です。公的自己意識が過度に高い状態の保有率は、自我の発達の途中である思春期では一層高くなることは間違いありません。このことから若年層の自殺が日本人に多いことについても、公的自己意識が過度に高い状態が原因であるといえるはずです。

日本語の表出に詰まる日本人が多い(フィラーが多い)

まず、私は、日本語は世界一難しい言語であると確信しています。その証拠の一つとして、日本人のフィラーの発生頻度の高さを列挙します。日本語を流暢に話せる外国人に限ったことではなく、長くて複雑な構造の複文を間違えずに話せる日本人はすごいなあと思います。というのは、日本人でもそういった文をスムーズに話せる人は少ないからです。

私自身がカジュアルに日常会話をする際においても、話す前に一呼吸置くことでスムーズに話せるようになると感じます。話す前の「一呼吸置く」という行為について、自分自身が話そうとしている、言語化される以前の概念を洗い出して、そして整理するという脳の働きがあるように思います。

一方、一呼吸置かずによく考えないで話すとなると事情が変わります。まるで即興的に概念をひとつひとつ紡ぎ出しながら、言語情報を表出しているように私は感じます。そのようして即興的に作り出した文が、文法的に全く問題がないことがありますが、そうなることは少ないです。このことから、日本語で正しい文を作り出すという行為は偶然に任せるものであり、成功するという必然性が保証されていないように感じます。これは英語にはない感覚です。英語で文を作るときは文法的に正しいものになるという確証があるように感じますし、結果論として「言い間違い」をすることは少ないです。

日本語話者による日本語文に対する弱さ、すなわち文法的に正しい文を出すことの高いハードルは、「言い間違い」だけではありません。日本人が日本語を話すときに多く入れてしまっている、「えーと」や「えー」、「あのー」といったフィラー表現も、言語表出の困難性の証拠であるといえます。詳細は次のリンク先で紹介しています。

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わたしのほかにも、「日本語について不自由を感じる」といっている日本育ちの日本人がいます。実際に過去のヤフー知恵袋の中での投稿で同様のものがありました。そのうえ、この問題提起に同意している人が複数人存在します。このことは、日本語の語順規則が日本人にとっても難しいものであるといえる根拠に当たるといえます。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

論理的思考とは何か?非論理的といわれている日本人

主観ですが、フィラーの発生頻度が高いことに並んで、文章の構成力が低下している日本人が多いような印象を受けます。ネット上で日本人の言語コミュニケーション能力について「低い」と検索され、そして言及されているサイトは多く見られます。

日本語と英語を比較する際に、日本語は情緒的で非論理的な言語、英語は論理的な言語というふうに評価されます。そしてこの評価から派生した仮説が、「日本語を話す日本人は論理的思考が壊滅的に苦手だが、情緒豊かである」というものです、おそらく。

「日本人は論理思考が苦手」といっている文献の例を挙げてみましょう。

toyokeizai.net

論理的思考とはなにか。論理的思考とは形而上の概念ですが、表面に現れる瞬間があります。それは話したり文章を作成するときでしょう。このとき相手に対して説得力ある説明を実行するための能力こそが、論理的思考といえるでしょう。説得力ある説明とは、複雑な構造であるわけがありません。文章の構造が展望の良く、そしてわかりやすいものであれば、聴く側は最小限の労力で理解できます。

「論理的思考が壊滅的に苦手」という性質と、言語コミュニケーション能力が低いことの間には因果関係があるとみて間違いありません。一方の「情緒豊か」とは、非言語的コミュニケーションも存在します。非言語コミュニケーションとは、言語ではなく身振り手振りを用いたり、相手の表情から相手の意図を読み取るといった認知的共感を用いる情報のやり取りを意味します。日本人の国民性は、非言語コミュニケーションが得意であるというものでしょう。

日本人が日本語を話すときにはフィラーが発生したり、厳密に評価した際に誤っているといえる語順での表出が頻発したりします。このことから日本語を話す日本人について言語コミュニケーション能力が低い、そして「論理的思考が壊滅的に苦手」と評価することが可能です。日本人が「論理的思考が壊滅的に苦手」な状態になっている原因として、まず挙げられるのは、学校教育で修辞学(レトリック)を学ぶ機会がないことです。こちらは一般的に考えられていることでしょう。

もう一つの原因として私が提言したいことは、日本語語順が日本人に対して公的自己意識が過度に高い状態を誘発していることです。

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言語コミュニケーションにおける公的自己意識および私的自己意識

言語コミュニケーションで言語を扱う際に注意を向ける自己意識の種類によって、コミュニケーションを表出する際の態度が変わるだろうと私は思います。言語コミュニケーションのうち、「言語情報の表出」とは自分が伝達したい観念、すなわち欲求を言語化し表現する行為です。いいかえれば言語情報の表出は欲求に類するものであるため、私的自己意識に注意を向ける方が効率的であるといえます。

一方の公的自己意識に注意を向けた場合は、自分の欲求よりも相手の意図を理解することに長けるようになると考えられます。同時に他人から見た自分、すなわち自分の客観視もできるようになります。ゆえに認知的共感を利用した非言語コミュニケーションが豊かになると考えられるため、公的自己意識を優先した思考様式は情緒的思考と評価できます。

しかし、言語コミュニケーションの際に公的自己意識に注意を注ぐということは、私的自己意識がないがしろにされていることを意味します。そのため、あるいは言語コミュニケーションが非効率といえる状態になるわけですが、逆に非言語コミュニケーションの実施が活性化することに期待できます。

言語コミュニケーションの際に私的自己意識を優先した思考様式は、効率的に言語理解および言語表出の実行をもたらすでしょう。言語コミュニケーションにおける効率性とは、言語理解においてはその理解力、言語表出においてはさらにわかりやすく、言語流暢性で評価することができます。表出される言語情報の構造も見通しが良いものになります。したがって私的自己意識を優先した思考様式は、論理的思考と評価できます。

日本人のコミュ力が低い原因は公的自己意識の強化

日本人の国民性として指摘した「公的自己意識が過度に高い」状態は、一時的な言語コミュニケーションの際にも、悪影響を与えます。自分が話している相手の態度が気になり、どう思われているのか、そして相手の立場と自分の立場のことを踏まえたうえで言葉を選ばなければなりませんので、敬語表現にも気を使わなければなりません。要するに、話す内容以外に「注意を向けるべき」と考えている事柄が多いのです。

しかし、人間が持つ注意資源は有限です。つまり、日本人の場合、言語情報の表出以外に多くの事柄に注意を向けているため、言語情報の表出に対する注意がおろそかになり、効率的に実施できなくなると私は考えています。

このとき問題となる、表出する言語情報の特徴を挙げると、まず文単位の問題とて、文の構造が冗長になることが挙げられます。「一度で多くのことを話すべき」という「べき思考」にとらわれているため、重文はおろか、節の修飾を組み込み、複文の構築という難儀を実施しようとします。

もうひとつ、文章単位となると、最も伝えたい内容を最後に配置しようとします。例えるならばバラエティ番組でのお笑い芸人のトークと同じ構造の文章を作ろうとします。文章の根幹となる情報を文章の冒頭で配置したほうが、本来ならば論理的でわかりやすいのですが、これを実施できません。

公的自己意識が過度に高い思考様式であるときに認められる特徴を、言語コミュニケーションに絞ると以下の通りです。

  • フィラーの多発:「使うべき」と考える言葉を選ぼうとする
  • 美化語:名詞の前に「お」、あるいは「ご」
  • 二重敬語
  • 述語に名詞句をつける冗長表現。例:「~できる」を「~することができる」

非言語コミュニケーションにおける特徴を挙げると、声のトーンが高くなるのが代表的です。最も極端な場合では「あがり症」が挙げられます。プレゼンテーション(大勢の聴衆を前に)をするときには扁桃体が強く反応し、ストレス反応が発生します。このときのストレス反応は、顔の紅潮、心拍数の上昇、胃痛などが挙げられます。

非論理的な主要部後置型言語である日本語

日本人は公的自己意識が過度に高い国民性となり、「自我不確実感」を伴う状態を常に強いられているといえます。何によってか。その元凶について、私は日本語の語順規則であると考えています日本語は主要部後置型言語であるため、その語順規則は「右側主要部の規則」です。規則の代表例を挙げると術語は文末に配置されること、また助詞の配置は句の後部であることから助詞は後置詞であることが挙げられます。

一方の英語は、主要部先導型に分類されています。そして左側主要部の規則が多くの場合で採用されています(一語のみの分詞や形容詞の修飾を除く)。「右」と「左」、「後」と「前」というように、英語と日本語の語順は、真逆の関係です。

ちなみに日本語と同じような語順の言語は結構存在しており、ロシア語、朝鮮語、古代言語ではラテン語サンスクリット語がSOV型といわれています。一方のSVO型は後から発生した言語であり、英語以外にはスペイン語、フランス語などが挙げられます。ちなみにこれらの言語と日本語との語順規則の違いは、英語より多くなります。

主要部前置型言語とワーキングメモリ

日本語の語順規則に従って作られる文のうち、ワーキングメモリを使わなければ理解、表出を一度で達成できない文が存在します。その文には特徴的な統語構造が存在しています。というのは、この文を扱うためには複数の短期記憶を同時に保持する必要が発生します。すなわち、通常の文を扱うときよりさらに多くの注意が必要になるということです。

通常、言語情報を扱う際に注意をむける対象となる意識は、先述したように基本的に私的自己意識のみです。その文を扱う際にワーキングメモリを使うことについて、複数の短期記憶の保持とは、すなわち意識が複数存在すると言い換えることが可能です(認知心理学でも注意と意識は同じように扱われています)。

つまり日本語とは、公的自己意識と私的自己意識の両方に対して同時に注意を向ける必要がある言語となります。ただ、その文に限らず、日本語が主要部後置型語順を採用しているという要素が、日本人に対して公的自己意識への注意を促していると私は考えています。

次の記事では、ワーキングメモリが必要不可欠になる文の特徴について紹介します。

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まとめ

欧米人(なかでもその知識人)が日本人に対して、「論理的思考が苦手である」と評価することがあります。その真偽は別として、問題解決能力の基盤となる「論理的思考」に相当する存在を言語の範疇で導き出すならば、まずは「文章構成力」に該当する「レトリックの充実性」が挙げられます。次に文単位の構成力として、「言語流暢性」("Verval Fluency")と、「結果的に文法規則的に正しい文を作成するための能力」が挙げられます。

日本語話者である日本人の言語表出の様子を見ていると、これらの成績が高いとはいえません。文単位では、フィラーが多いことから言語流暢性が低いといえますし、作り上げた文に「ねじれ文」、重文といった「言い間違い」というべき文法ミスも多くみられることから、正しく作ることも困難であることがわかります。

日本語の非流暢性、言い間違いの多発といった問題は日本人に限ったことではありません。ネイティヴスピーカーのレベルに達している外国人も同様です。これらの問題の根本的な原因は、右側主要部の規則、すなわち日本語が主要部後置型言語であるを提言します。右側主要部の規則であるために、言語理解および言語表出において日本語話者は主要部を即興的に選び出す必要があります。このときに公的自己意識に注意を向けます。

言語行為時に公的自己意識に注意を向ける必要があれば、公的自己意識に注意を向けることが常態化するのは必然になります。したがって、主要部後置型言語の日本語が、その話者である日本人の思考様式に対して公的自己意識の強化という影響を与え、その結果、公的自己意識が過度に高いという国民性を与えているといえます。

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*1:

psychologist.x0.com

*2:江原暉将「語順は思考パターンに影響を与えるか」、寄稿集2015年度版、日本特許情報機構

https://www.japio.or.jp/00yearbook/files/2015book/15_4_07.pdf