当事者研究ブログ「大人の頭蓋骨縫合早期癒合症」

頭蓋骨縫合早期癒合症(軽度三角頭蓋)と高次脳機能障害(容量性注意障害)に関する当事者研究の記録です。言語性ワーキングメモリと日本語(右側主要部の規則)の関係、デフォルトモードネットワークの機能について研究しています。目的①頭蓋骨縫合早期癒合症を成人症例、生活史を記事としてまとめること。目的②特異的言語発達障害の当事者研究をもとに、日本語が日本人の思考に与える影響(サピアウォーフ仮説)を考察すること。

主要部後置型(SOV型)言語である日本語は非合理的だから日本人による「言い間違い」が多い

日本人にとってもSOV型語順の日本語を話すのは難しい

日本語は母国語なので、英語のように英文法や英単語のように新しく習得する必要はありません。もちろん、覚えにくい意味を示す語彙もありますが、それは世界共通でしょう。しかし、日本語は日本人にとっても難しい言語だと私は思います。はじめに日本語の難しいところを以下のように列挙します。

  • 漢字:同音異義語が混同のもとに
  • 敬語:謙譲語は他言語に存在しない、られる
  • SOV語順(詳細は後述)

このなかで私が最も興味を持っているのが、日本語の語順規則です。日本語の語順規則は言語学で言うところの右側主要部の規則を採用するため、日本語の分類は主要部後置型(主要部終端型、SOV型)に分類されます。日本語の語順規則の術語の配置が文末に配置されること、助詞が後置詞であることが挙げられます。

物心つく前から日本語を母国語として扱ってきた私たち日本人にとって、日本語の語順規則は当然のことであり、無意識的に使用しています。しかし、だからといって簡単であるとは限りません。私たち日本人はその語順規則しか知らないゆえに、比較対象を持ちません。そのため日本語の語順規則が簡単であるというのは早計です。

「日本語が非論理的な言語である」ということより、「日本人が論理的思考が壊滅的に苦手」というふうにみなされています。私見ですが、これを象徴する現象が、日本人が日本語を話すときの「言い間違いの多さ」です。以下に紹介する言い間違いとは、日本人が即興で表出した日本語の文で、しばしば発生する誤謬(エラー)です。

  1. フィラー
  2. 重言
  3. 主語と述語の不一致 = てにをはが合わない
  4. 主語の省略

日本語をの文を表出する際のエラーのリスクは、単文であれば低い水準で済みそうですが、表出する文の統語構造が複雑であるほど、そのリスクは高くなります。とくに節の階層構造を持つ複文となると、表出するまえに一呼吸置いたとしてもエラーが発生するリスクが高いといえます。

まず、言葉が詰まったとき表現に該当する「フィラー」が挙げられます。使用する語句を選択するのに時間がかかっているときや、主節従属節の確認などのときに出現するように思います。フィラーを挙げるときりがありませんが、一応挙げると以下の通りです。

  • まあ
  • なんか
  • えーと、えー
  • あの、その

次の重言は、「頭痛が痛い」に代表される表現のことです。カタカナで言えばトートロジーが該当ワードです。最近とある評論家がテレビで「行動変容を変える」と言っていたのを耳にしました。文脈からして「国民に行動変容をもたらす」と言いたかったのかもしれません。

複文を話すとき、日本人は主語と述語が一致していないことが多いです。複文だとそのリスクが高いのですが、話したり書き出したりする文が単文であるときにも発生します。術語を表出するタイミングでは主語を見失っていることが多いのかもしれません。日本人が日本語を話すときは、しばしば主語を省略することが多いくらいで、主節の主語の重要性が低いかもしれません。このことは日本語の省略に関する考察でも説明しましょう。

日本語を扱うのが難しいといえるのは表出だけでなく、言語理解、すなわち読解やリスニングでも同じことが言えます。日本語の文が聴き取りにくいという問題、具体例を挙げると、聴力に問題がなかったとしても聞き返しが多くなることや、聴覚情報処理障害の原因が不明とされている件についても、日本語の語順そのものと、日本語を認知するときの日本人の思考様式に問題があることが原因であるような気がしてなりません。

文中語句の「優先順位」(意味と統語構造)

ここでは文中語句の優先順位について、意味の観点、統語構造の観点でそれぞれ導出します。意味の観点で優先順位が最も高い文中語句は、主語と述語です。まず術語について、術語がなければ文として成り立たないため、言語学の観点から第一優先事項といえる語句は術語であり、文の主要部として規定されています。そして、動作を表す品詞である動詞が使われる術語には、必ず動作の主体である主語が存在しています。つまり叙述内容を文で表現する際には主語と述語の双方が必ず存在するはずです。

例えば、「私はリンゴを食べた」という単文について、この文の主要部は「私は食べた」に該当します。この単文を言い換えると「リンゴを食べた私」となりますが、仮に「リンゴを」はなくても「食べた私」が成立します。つまりこの部分が最優先事項です。これに対して「リンゴを」という句は従属部であり、あくまで動作の客体にすぎません。

次に語句の優先順位を統語構造から導き出すとすると、文における語句の位置が先頭に近いほど優位性が高い語句といえるでしょう。人間が言語を表出しようとするとき、横書きの場合は左から右に語句を順番に並べながら文を作ります。意味の面で最優先事項のうちの主語であるために、文を作る際にはじめに想起するべき語句は、先述の通り主語であるため、主語を極力左に配置されます。極端な話、逆にほとんどの言語で主語が文末、すなわち術語より右側に配置されることがないのも当然です。

単文における語句の優先順位については、従属部より主要部、すなわち主語と述語が優位であるといえるでしょう。複文における主節の主要部以外の語句の優先順位については、従属節とその被修飾語であれば、被修飾語が主節の一部であることを根拠に、被修飾語が優位といえるでしょう。

言語間距離が遠い日本語と英語:ほとんどの語順規則が真逆

日本語は語順の分類によると主要部後置型言語です。主要部の配置については右側主要部の規則が徹底的に採用されています。まず、文の主要部である術語の位置も同様で、文の最後に配置されます。つまり、日本語を用いて文を作るとき、主語の位置はどうであれ、主語と述語との間に距離が発生します。2つめに句(例:「リンゴを」)の主要部である助詞の位置も、日本語の場合は語(「リンゴ」)の後ろに配置されるため、助詞は後置詞であるということになります。複文の形成時における従属節の修飾位置についても、日本語の場合は被修飾語の前に提示されます。

日本語と英語の複文を例示すると以下のようになります。

「私は、母親が買ったリンゴを冷蔵庫に入れた。」

"I put the apples my mother bought yesterday into a refrigerator."

ご存じの通り、日本語の場合は主語に該当する句の配置は自由ですが、主語の位置を変えないように作りました。まず主節について、英語文の場合は初めに"I put"ときて「入れる動作をしている私」を提示していますが、これに対して日本語文では冒頭では「私」のあとに目的語の叙述がされており、「動作の主体」が不完全です。動作の主体が完成されるのは文末になってからであり、それまでのあいだに従属部の内容を理解、あるいは表出しなければなりません。

助詞について、英語文では一人称の主格が提示されている時点で主語であるとわかるのに対して、日本語文では「私」のあとに主格を付与する助詞が提示されており、「私」の時点では主語がどうかもわかりません。英語の場合冒頭に配置される名詞句が主語であるというふうにほぼ特定できますし、日本語の場合は句の順番が自由であることを根拠に、これを絞ることは困難です。

英語と日本語の語順規則の相違のうち、最も顕著といえる部分は従属節の修飾といえるでしょう。英語の場合リンゴが提示されてからリンゴに関する「昨日母が買った」という詳細情報が提示されます。これに対して日本語文ではリンゴに関する詳細情報が提示されている段階では、その情報が「リンゴ」についての情報であることを提示していません。

日本語と英語の「言語間距離が遠い」と言われていますが、従属節という文の形を成すものの修飾位置においても真逆となっており、これが最も大きな違いといえるでしょう。このことから、複文の表出、理解ともに、英語と日本語とでは頭の使い方が全く異なるだろうという仮説を立てられると思います。

日本語に欠如している論理性(設計図)

主要部前置型(SVO型)言語である英語について、「幹から枝葉」のように叙述内容を展開する語順を持つ言語であると、以下のリンク先の記事で提示しました。

atama-psycho-linguistics.hatenablog.jp

ようするに、割と初めの段階で「幹」に該当する主語と述語を提示して、必要に応じて前置詞を付けながら従属部をつなげるという語順です。この語順規則は日本人から見てみればかなり厳格なので、英語を学ぶとき、英文法に対して「うっとおしいな」とか「もっと語順に自由にしてくれ」などと考えることが少なからずあると思います。そして、母国語である日本語の語順規則が緩いことに対して「よかったなぁ」と考えることがあると思います。しかし、この日本語の特徴は特長のようですが、実はそうではありません。

統語構造を樹木に例えると、日本語のような主要部後置型言語は「枝葉から幹」という順番で叙述内容を展開する語順を持つ言語といえるでしょう。つまり、日本語を理解、表出する行為は、「幹を作り上げる際には枝葉を支えている」ようなものです。これはかなり異常なことなのです。

文を作る際に最優先事項は主要部であることを踏まえると、日本語は最優先事項を最後に配置しており、優先順位が低い語句を先頭に配置していることになります。つまり日本語とは、意味的な優先順位が語順的な優先順位に逆行している言語であるといえるでしょう。そして、この逆行こそが日本語が抱える非論理性であると私は考えています。

日本語の語順規則に該当する「右側主要部の規則」は、英語の語順に存在する「設計図」の機能を持ちません。もっといえば、言語の理解および表出する際における「思考のフレーム」としての役割を持っていないといえます。

英語話者の場合、文を作るための「設計図」を語順で示しているため、その分だけ頭を使わずに済むのに対して、言語の語順がもたらす「設計図」や「思考のフレーム」という恩恵を享受されない日本語話者は、代償機能的に余計に頭を使う必要に迫られることになります。しかしその方策は確証的ではありません。なぜなら、実際に日本人は言い間違いを頻繁にしていますから。

その原因をまとめると、日本語の語順に従うとなれば、概念を言語化するたびに即興で統語構造を作る必要があるためといえます。例えば主語を日本語の文で作る際に、必ずしも冒頭に主語を提示しなければならないというわけではないかわりに、名詞を主語化するためにはその後に「は」や「が」といった助詞を付けます。日本語話者は主語に相当する名詞を主語として出さずに提示し、後付けで主語にするか否かを即興的に決めるという経験をしている可能性が高いです。そういえる証拠はもうひとつあります。「文の主要部たる術語を文末に配置する」という規範文法に従い、従属部の提示を終わらせてから主要部にあたる術語を出力するため、主語をいくらでも変えられるという問題点があります。ゆえに、日本語話者は文の主要部である術語も即興で作り出していることになりますといえるでしょう。

このことから日本語話者が語を表出とき、どの概念を主語と述語にするかについて、その日本語話者が決めていない可能性を否定できないといえるでしょう。日本語で文を作り、主語と述語が一致している、統語構造的に問題のない文章が出来上がったとしても、それは必然ではなく、偶然の産物であるといえるでしょう。

先述した日本人による日本語の「言い間違い」の原因について結論付けると、ひとつめの「フィラーの多さ」は、語句の選定や想起に手間取っていることによる発生以外に、が提供されていないことによって、文の正しく作成できるという確証的方策である「設計図」が、日本語の語順規則からは得られないことによる自信のなさ、具体的に言えば文の主要部と主語を決められないために発生すると考えられます。

2つめのエラー「重言」については、日本語の文法では主語と述語の間の距離が長いことによって、術語を提示する段階ですでに表出した主語に関する注意がおろそかになってしまったことで発生すると考えられます。英語の語順規則であれば、日本語のように主語と述語の間に助詞が存在するということもないので、重言は発生しないと私は考えます。

3つ目のエラー「主語と述語の不一致 = てにをはが合わない」の原因は「フィラーの多さ」と同じです。日本語の語順規則では「設計図」を得られないために、名詞の後ろに助詞を提示する形で、文末に術語を提示しなければならないゆえに、文の「幹」を初期段階で作ることは不可能です。そのため日本語の文は「幹」と「葉」をつなぐ「枝」を即興的に「後付け」しなければなりません。主語と述語の不一致とは、助詞の即興的な後付けをミスして発生するエラーであると私は考えています。