当事者研究ブログ:大人の頭蓋骨縫合早期癒合症

頭蓋骨縫合早期癒合症(軽度三角頭蓋)と高次脳機能障害(容量性注意障害)についての当事者研究のノートです。言語性ワーキングメモリと日本語(右側主要部の規則)の関係について研究しています。目的①頭蓋骨縫合早期癒合症を成人症例、生活史を記事としてまとめること。目的②特異的言語発達障害の当事者研究をもとに、日本語が日本人の思考に与える影響(サピアウォーフ仮説)を考察すること。

幼少期から続く「不注意優勢型ADHD(注意欠陥障害)」は気分変調症(持続性抑うつ障害)

キーワード:不注意、衝動、欲求、実行機能、気分変調症、抑うつ、意欲、報酬系扁桃体防衛機制

不注意の原因疾患の3タイプ 

2020年現在の精神医学では、不注意症状について関連する疾患がADHDしか認められておりません。しかし、不注意症状には様々なタイプが存在することは明らかであり、ADHDとしてみなす見解が妥当性に欠けることをここに提言します。

不注意症状には以下の3タイプが存在します。

  1. 「衝動型不注意」(ADHD
  2. 「意欲減退型不注意」(気分変調性障害)
  3. 「ワーキングメモリ無効化型不注意」(配分性注意障害、または容量性注意障害)

当記事では、気分変調性障害に起因する「意欲減退型不注意」をADHDと比較しながら説明します。また、最後に容量性注意障害についても若干量ですが紹介しています。

「不注意優勢型ADHD」に対する疑念

ADHD(注意欠如多動障害)を分類する際によく言われるのが、ADHD(多動型)と不注意優勢型ADHDですが、私はこの二つが別物であり、本質が異なるもの同士であると私は確信しています。

幼児から学童の間は、成年以降と比べれば若気の至りともいうべきで、それはもう活動的です。周囲から自分がどう見られているかという自意識が形成される思春期が到来するまでの期間、すなわち幼児から学童のあいだの幼少期は、定型発達も成人と比べると過活動といえるでしょう。

しかし、幼少期にそれぞれ、定型発達とは違いが出てきます。ADHDは文字通り多動であり、本人の意志では対処できません。それは自意識(客観的視点)が過剰になってもそうです。本人の葛藤は強いと思います。通常人間は、フロイト心理学でいうところのイド(欲求、衝動)とスーパーエゴ(超自我、社会性、理性)は対立するものであり、思春期を迎えるとその葛藤に苦しむことがあります。これらの均衡を実現する役割を担っている脳機能に実行機能が含まれていますが、ADHDではこれが無効化されるため、イドとスーパーエゴが併存している状態にいるわけですから。

これに対して「不注意優勢型ADHD」は、とても不思議です。衝動性がないのに不注意が認められるという状態である「不注意優勢型ADHD」は、ADHDの病理(発症メカニズム)と実行機能の理屈をふまえると、逆説、いいえ、私は矛盾であると考えます。

先に結論を言いますと、「不注意優勢型ADHD」とラベリングされている、不注意が著しい状態は「気分変調症」(持続性抑うつ障害)の症状のひとつであると確信しています。精神医学では現在、気分変調症は気分障害のひとつ、「不注意優勢型ADHD」は発達障害のひとつとしてそれぞれ別の観点で分類されていますが、私の持論は異なる観点による精神障害を同一のものとして結びつけます。

ADHDの衝動性と実行機能の無効化

ADHDの当事者の行動として表れる上記の3種類の症状の強弱有無は、千差万別であるといわれています。強く表れている症状という尺度によって、ADHDをさらに以下の3タイプに分類されているそうです。

・多動性および衝動性優勢型ADHD:多動性が比較的強いADHD

・不注意優勢型ADHD:多動性を除いた衝動性および不注意性が強いADHD

・混合型ADHD:すべての症状が強いADHD

以上は精神医学公式の見解です。この分類方法について、「不注意優勢型ADHD」については、実行機能の無効化で説明できるADHDと同じ扱いを実施するのは、真相究明に混迷をもたらす、誤った評価です。

まず、一般のADHDについて。ADHD注意欠陥多動性障害)は、神経伝達物質ドーパミン)の伝達過程上の異常によって引き起こされる障害です。DSM-5ではこれを神経発達障害のひとつとして分類しています。

ADHDの症状の特徴は、一般に以下の3種類に分類されています。

  • 衝動性:実行機能が低下し、衝動の抑制が効かない状態
  • 多動性:上記の衝動性が行動として表れる頻度がより強い状態
  • 不注意性:実行機能が低下し、衝動により注意を制御できない状態

一言で言いますと、上の全症状の病理は実行機能の低下で説明が可能です。通常のADHDの症状の本質は「衝動性」

「抑制」と「注意制御」は、同じ意味です。物事に対して集中しなければならない場面において、無関係の「衝動」を「抑制」することで「注意」の「制御」を実現できるのが、実行機能の役割です。

ADHDの症状の特徴として、「不注意性」と「衝動性」が分けられていますが、別物というわけではなく因果関係であるといえます。このことから、衝動性はADHDの絶対条件であるといえます。

ADHDにおいて、「衝動性→×、多動性→〇」というのは普通に考えてあり得ませんし、「衝動性→×、不注意性→〇」というのも、ADHDではあり得ません。

「不注意優勢型ADHD」についての医学の見解

類義語「注意欠陥障害」

当然のことをいいますが、精神医学は「不注意優勢型」をADHDのカテゴリーのひとつとみなしています。

変だと思いませんか?ADHDは、”Attention-deficit hyperactivity disorder” の略称です。不注意優勢型は多動が少ないとされているとされているのに対して、「hyperactivity」が疾患名称に含まれています。

そういった疑念が反映されているためでしょうか、多動性が表現から抜けた「注意欠陥障害」ともいわれています。名称についての説明記事を引用します。

ADDという診断名が登場したのは『DSM-Ⅲ』が出版された1980年です。それまでは、子どもの多動性のみが主に取り上げられていましたが、この改訂では「注意の持続と衝動性の制御の欠如」にも焦点が当てられました。その結果、ADD(注意欠陥障害)という障害概念が導入されました。
その後、1987年に改訂された『DSM-Ⅲ-R』では、再び多動性の影響力が重視され「ADHD(注意欠陥障害,多動を伴う/多動を伴わない)」という分類名になりました。この改訂から不注意、多動、衝動性の3つが診断基準になったのです。*1

 「注意欠陥障害」とは、多動症状が目立たないことを由来として「多動」という文字を抜き取って出来上がった名称と解釈するのが正しいわけですね。そして注意欠陥障害は不注意優勢型ADHDの旧称であるということ。すなわち注意欠陥障害は、不注意優勢型ADHDと同一です。

「不注意優勢型ADHD」の不注意に対する精神医学の解釈

前に紹介したリタリコの記事によると、ADHDが概念として提唱され始めた当初は、多動という行動障害が社会生活を営む上で問題であるものとしてみなされていたとのこと。「多動症」という表現もあります。そしてのちに衝動性が原因らしいということが解明され、多動以外にも不注意という問題もあることから、現在の名称に落ち着いたといえます。

2020年時点での精神医学では、実行機能の低下という不注意症状の原因について、基本的に「衝動性」や「抑うつ」が原因とされています。つまり、不注意症状が現れる精神疾患ADHDうつ病であると精神医学は判断します。

「不注意優勢型ADHD」といわれている疾患の症状は先天的であるため、後天的かつ一時的な気分障害ではなく、うつ病とは全く別物であると判断されます。同じく幼少期からあるADHDに分類したほうが近いんじゃないか、となります。すると、「不注意優勢型ADHD」で強く表れている不注意症状の原因は衝動性であり、これによって注意制御を低下された状態を「不注意性」と評価します。

この精神医学の理屈に従うと、「不注意優勢型」とはいっても、衝動性も強く存在しているということになります。そして「不注意優勢型」において多動性については、あくまで目立たない状態と規定している、と解釈したほうが良さそうです。

ADHDの不注意と気分変調症の不注意の違い

「不注意優勢型ADHD」という矛盾

不注意、すなわち実行機能の低下の原因が衝動性と抑うつであること、そして衝動性があれば多動になることを念頭に置くと、多動が認められず、不注意のみの状態といわれる疾患はADHDとは別物として判断するべきでしょう。

ADHDの特徴のうち不注意と多動は傍目から観測できます。これに対して衝動性は主観にとどまるため、客観的に観測できません。精神医学の理屈では「不注意優勢型ADHD」と言われている病態について、衝動性と不注意が因果関係を持つこととなりますが、客観的に観測できない衝動性を原因と規定することは早計だと思います。

衝動性によって多動と不注意を抱える疾患であるのに、衝動性が消え、不注意が残るのは考えにくいです。また「衝動性を感じる」という当事者の証言が本当にあるのかという疑念があります。

不注意症状のみの状態はおそらく、「先天的な神経発達の結果、衝動性がないのに不注意性があるという気質が形成され、青年期以降に発覚する」というものだと考えられます。ADHDは多動性があるため当てはまりませんし、一方のうつ病は先述した通り後天的であるため当てはまりません。

衝動性由来ではない気分変調症の不注意

現時点で「不注意優勢型ADHD」とよばれる症状の原因について、気分変調症である私は考えます。「持続性抑うつ障害」とも呼ばれ、端的に説明すると先天的な神経発達の結果、軽度の抑うつを常時抱えるパーソナリティ」となります。気分変調症は精神医学では知名度が低いです。気分変調症を見抜くためには、患者の自覚と正確な生育史が必要になるため、その診断は精神科医にとって至難です。

こういった背景があるため、気分変調症の知名度向上のための普及には時間がかかると思われ、途上の段階です。そのため「軽度の抑うつの持続」以外の症状が知られておらず、実際には不注意症状が含まれていることは明らかです。「問題提起」されていないため症状として報告されていません。

気分変調症では不注意症状が二重うつ病ではない平常時に認められます。これが意味することとは、平常時に実行機能が低下です。事実、気分変調症では多くの脳部位(報酬系と実行機能のネットワークか?)が、定型発達と異なる状態であることが判明しています。気分変調症の不注意は、実行機能をつかさどる脳部位(DLPFCや前帯状皮質など)の活動状況が悪いために発生するものと考えられます。

気分変調症が「不注意優勢型ADHD」とみなされてきた原因

気分変調症は精神医学では気分障害に分類されている疾患であり、抑うつの有無という報酬系の問題でしか評価されていません。不注意症状の有無について、精神医学は認知していないか、問題提起せずに無視していると考えられます。

気分変調症の不注意症状についてみてみると、その当事者にはADHDと同じ不注意症状の出現という結果が認められます(後述しますが不注意症状のメカニズムがADHDとは異なります)。例えば、忘れ物が多かったり、モノを置いた場所を思い出せなかったりします。言ってしまえば、定型発達も疲れや寝不足で調子が悪い時に同じような不注意が発生します。

ただ、気分変調症が「不注意優勢型ADHD」とみなされ問題となるくらいですから、定型発達よりは不注意の頻度が高いはずです。このことから、不注意の発生頻度が多いものから順番に並べると、ADHD、気分変調症、定型発達になると考えられます。

気分変調症が「意欲減退型不注意」を引き起こす

人間は幼少期から思春期(社会性を身に着け始める)までの間、ある意味やりたい放題で、衝動の赴くままに行動します。そのため、好奇心が旺盛であることが通常です。しかし、好奇心旺盛な児童が多いのに反して、この時点で「おとなしい」性格が目立つパターンが存在します。そのパターンのうちの一つが気分変調症です。他方は、精神年齢が高い児童です(社会性を学習し、年齢以上の自我を備えている)。

気分変調症の当事者に認められる「おとなしい」は、社会性獲得(精神年齢が高い)のではなく、その実態はもともと好奇心が少ないこと、そして後に形成される警戒心が強いことが影響しているためであり、そしてその原因は意欲の欠如(意欲がわかない状態)であると考えられます。

気分変調症の当事者が「おとなしい」原因について、「実行機能による抑制」というプラス要因は想定しにくいです。なぜなら、実際に気分変調症の当事者にとって、扁桃体によってマイナスに評価された衝動」、つまり負の感情の抑制が難しいためです。すなわち

事実、気分変調症の抑うつに対する親和性は高いといわれています。気分変調症の時点で軽度の抑うつを抱えている状態ですが、実はその状態からさらなる神経衰弱に発展することが往々にしてあります。これを二重うつ病(ダブルデプレッション)といいます。

定型発達にとっても「めんどくさいこと」に対しては意欲が欠如し、無理にやろうとしても注意制御が難しいですよね。気分変調症の当事者は「めんどくさいこと」の範囲が広くなっていると私は考えます。それゆえに意欲がわくことが日常生活においても限られたものとなり、常に不注意な状態になると考えられます。

ADHDと気分変調症の比較:学校における衝動と超自我の状態

同じ不注意症状ですが、気分変調症の不注意はADHDの不注意とは全く別物です。この二種類の不注意を紹介するために、衝動(イド、欲求)と超自我(スーパーエゴ、理性、社会的規範)、実行機能の働きを用いながら説明します。その違いは幼少期に既に現れています。

ADHDの当事者は学童期に入り、トラブルに直面することは有名な話です。ADHD生理的欲求、すなわち「報酬系によってプラスに評価された衝動」を抑制するための実行機能が無効化される疾患であるため、社会性を身に着けていたとしても、そのため相反する衝動と超自我の葛藤に苦しむことになります。

学校では学業や集団行動を求められるようになります。そのなかで例えば、授業中に座席から立ち上がりたくなったり、貧乏ゆすり(健康に良いため健全な衝動)をしたくなるわけです。定型発達であればこの衝動を抑制できるのですが、ADHDの当事者はできません。すると、学校に限らず同級生からも「集団行動ができない」と評価されてしまうリスクを常に抱えています。

これに対して、気分変調症の当事者は「衝動抑制の無効化」の問題は抱えていないため、学業をこなせますし、集団行動においても調和を乱す結果につながる衝動がないため、「問題児」扱いされず、むしろその評価は「目立たないおとなしい子」に落ち着きます。

しかし、ADHDの問題がないだけで、気分変調症が引き起こす意欲の低さによる悪影響はADHDをしのぐと私は考えています。そのように考える根拠として、気分変調症の当事者が抱える以下の諸問題が挙げられます。

  • 消極的動機による学業の達:義務教育での成績は高いことが多い
  • 悪性自己愛者からいじめの標的にされやすい:性格が良い(情動的共感が高い)と一層リスク
  • 共依存のリスク。
  • 社会での対人関係トラブル:社交不安障害
  • 回避性パーソナリティ

持論ですが、気分変調症は衝動の抑制機能が有効か無効であるか以前の問題であり、意欲、すなわち報酬系によってプラスに評価された衝動」存在しないかもしれません。まさに扁桃体優位な状態であることから、性格が良ければ超自我が強くなる時期において、常に自意識過剰に陥り、ストレスを感じるようになります。このことの証拠として、社交不安障害への発展しやすさが裏付けとなっている。

気分変調症の特徴:不機嫌なときに注意深くなる?

ただ意欲が低いだけでは定型発達でもよくあることであり、残念ながら、単なる「甘え」として評価されてしまうこと可能性を否定できません。しかし、私は気分変調症で引き起こされる「意欲の低さ」は甘えではないと考えています。意欲の低さには当人の意志が関わっていることは否定できませんが、その根拠として、定型発達にはない、特有の生理的な問題の存在を考えています。

気分変調症は衝動の制御機能を引き起こしません。つまり、ADHDのように集中できないか過集中するかというような問題は発生しません。ただし、「気分変調症の当事者が、定型発達と同じように集中できるか」という問いにつきましては、少し留意すべき点があります。集中、すなわち注意制御を実行しているときの心情は定型発達とは異なります。そして、その生理的な問題が、気分変調症の当事者に認められる、意欲の欠如の原因であるかもしれないと私は考えています。

その生理的な問題とは、注意深く行動するために不機嫌にならざるを得ないというものです。定型発達であっても、「尻が重い」という表現があるくらい、物事をやる前は「なんかだるいなー」と思い、気が進まないものです。しかし、気分変調症のそれは定型発達とは比べ物にならないと思います。ヒントは気分変調症の名前の由来にあります。

「気分変調(ディスチミア)」とは、通常から偏った気分異常で、広義には爽快、抑うつを含むあらゆる気分の変化を指し、狭義には、刺激的で不機嫌な「気分不快(ディスフォリア)」を指します。*2

気分変調症の英語名である「ディスチミア」とは、「不機嫌」という意味です。ここでいえる気分変調症の当事者の心理状態とは、まず、注意深く行動するために不機嫌にならざるを得ないし、あるいは不機嫌な時に注意深く行動できるというものです。

不機嫌とはストレスを感じ始める心理状態です。そこから多くのストレス反応、例をあげるとコルチゾールが分泌され胃酸が過剰に生成され、胃がただれ、びらんが発生する身体的反応、睡眠障害といった行動的反応を引き起こし、うつ病になるときには海馬などの脳へのダメージが認められるようになり、二重うつ病になります。

気分変調症の特徴:不機嫌からのリカバリーができない?

定型発達において、実行機能によって注意制御を実行するときに、ストレスを感じないわけではありません。しかし、どうやら実行機能と報酬系がうまく連携しているため、不機嫌になったとしてもその状態からのリカバリーを実行できると考えられます。中には報酬系が強いゆえに、実行機能による注意制御が快感という「変態さん」もいるはずです。

ここで二つ目の気分変調症の問題が存在すると考えられます。それは不機嫌からのリカバリーができない体質です。当事者は不機嫌を伴ってしまう注意制御を実行することを回避しなければ、ストレッサーにさらされてしまうことを学習し、経験則で知っていると推測できます。

持論ですが、気分変調症の当事者が不注意である原因は、不機嫌になりたくないためです。気分変調症の場合、実行機能を使うとき、同時に扁桃体由来の不安を強く感じるのでしょう。私自身は当事者ではなく経験したことがありませんが、これはおそらくとても不快な刺激だと思います。不機嫌になることを回避するため気分変調症の当事者は脳を極力使わないようにしていると推測できます。であれば、実行機能の発揮も例外ではなく、当人にとって不快な刺激なのかもしれません。

結論:意欲減退型不注意は気分変調症に対する防衛機制の結果

ADHDの不注意が「衝動型不注意」であるとするならば、気分変調症が引き起こす不注意は「意欲減退型不注意」と表現できると思います。「意欲減退型不注意」は多動が認められない一方、注意深くなる際に不安神経が刺激されるため不快な感情を伴うとみられます。

もし、子供のころから不注意があり、例えば家庭内で干渉されたときに不機嫌になることが多かった場合、その不注意はADHDとは全く別物であり、気分変調症によって引き起こされたものでしょう。

気分変調症の体質とは、実行機能を用いる物事の遂行(総称して遂行機能と言うかも)のすべてを実行する際に、付随して感じるストレスという苦しみからリカバリーできないままというものであり、それを回避したいという心理状態の現れが、意欲の低さなのだろうと私は考えています。つまり、気分変調症の不注意の原因となっている意欲の低さは、防衛機制であると考えます。

すなわち、気分変調症の不注意の対処法として「不機嫌になる」ことは危険でしょう。なぜなら不機嫌な状態では認知の歪みが生まれるためです。もしそれをすると、せっかく築き上げてきた確固たる人間関係、例えば家族関係とか恋愛関係ですね、これを破壊してしまいかねません。どうしても、不注意を解消しなければならない状態であれば、気分変調症の診断ができる精神科医との相談は欠かせません。

別の記事で、気分変調症に由来する「不注意優勢型ADHD」の当事者にとって、困りごとが少ないといえる進路や仕事について紹介しようと思います。

集中力は高く、抑うつも認められないのに不注意:容量性注意障害

不注意症状を引き起こす原因疾患のうち、衝動性に起因する多動が認められるタイプはADHDのみであり、他の2つは多動が認められません。気分変調症と同じく多動が認められない容量性注意障害は、「ワーキングメモリ無効化型不注意」を引き起こすと表現します。容量性注意障害は高次脳機能障害です。すなわち脳損傷(圧迫程度も含める)という後天的原因があることによって引き起こされます。

ワーキングメモリ無効化型不注意とは文字通り、短期記憶を複数同時に保持する(脳内マルチタスク)ための脳機能である「ワーキングメモリ」が無効化されることによって発生します。人間の意識は4チャンクあるそうですが、これはワーキングメモリが有効であるためです。これが無効化されるため、容量性注意障害の意識は1チャンクのみとなります。

気分変調性障害と容量性注意障害の不注意の違いを簡単に列挙します。

  • 容量性注意障害は特異的言語発達障害を引き起こす。日本語の文が不自由。つまり口下手、遅筆、読解力低下もあり。
  • 容量性注意障害は意欲が高い。
  • 容量性注意障害は集中力が高い。

容量性注意障害の詳細は、以下のリンクで紹介しています。昔の記事なので改定する予定です。

atama-psycho-linguistics.hatenablog.jp