当事者研究ブログ:大人の頭蓋骨縫合早期癒合症

頭蓋骨縫合早期癒合症(軽度三角頭蓋)と高次脳機能障害(容量性注意障害)についての当事者研究のノートです。言語性ワーキングメモリと日本語(右側主要部の規則)の関係について研究しています。目的①頭蓋骨縫合早期癒合症を成人症例、生活史を記事としてまとめること。目的②特異的言語発達障害の当事者研究をもとに、日本語が日本人の思考に与える影響(サピアウォーフ仮説)を考察すること。

空気を読みすぎる日本人、同調圧力に対する感受性の違い(HSPと集団同調性バイアス)

キーワード:公的自己意識、HSP、自我不確実感、べき論、日本語、語順

日本人の国民性と公的自己意識

日本人の国民性を示す表現は様々ですが、共通する原理を一言で説明すると「公的自己意識が過度に高い」となると私は考えます。公的自己意識は他人からの評価に注意を払うという内容です。日本人の国民性の長所として挙げられる、「相手に合わせる」や「礼儀正しい」などは、公的自己意識によって形成されるといえます。公的自己意識に起因する行動を示す表現は、ほかにも「忖度」や「行間を読む」、「空気を読む」、そして「同調」が挙げられます。心理学的には「認知的共感に優れている」といえるでしょう。

一方で、日本の社会に対して日本人が「息苦しさ」、「生きづらさ」を感じることが多いようです。実際、日本は息苦しいといわれています。本当はそんなことありません。現実では日本より生きづらい国はたくさんあります。例えばメキシコやホンジュラスのような国では殺人が横行していることから、安全欲求が満たされないような状況です。中国では独裁、検閲、報道規制が実行され、農民戸籍のように私人の権利に対する制限が強いという意味で、日本より「生きづらい」、というより理不尽が横行しているといえるのではないでしょうか。

日本人が感じている「息苦しさ」は、他国と比べれば些細なものであるように思います。ですが、日本にいる日本人にとってこれは重大な問題です。そのように言える証拠に、日本人の若年層の自殺率が先進国の中でワーストであることが挙げられます。社会経験をしていれば、この息苦しさの正体が同調圧力によるストレスの類であることに納得すると思います。実際そうであることはすでに日本国内において指摘されており、「日本は同調圧力が強い国」といわれています。

海外の人間関係においても同調は当然存在しています。同調が日本特有の文化ではないことは研究でも明らかにされているほどです。日本人の個人が発する同調圧力の程度が強いというわけではなく、その強さは世界共通であると私は考えています。それでも海外と比べて日本人が生きづらいと感じることは有意に多い。

公的自己意識は不安を増強する因子であるとも言われています。公的自己意識は「ほかの人に常に見られている自分」なので、通常であれば、社会的評価を落とさないために「社会的な人間としてふるまわなければならない」と考えるようになります。言い換えると「自分の生理的欲求に従いたいが、従ったら社会的に終わってしまう」という強迫観念を常に抱いているということです。

公的自己意識が高い状態であることによる悪影響は、ストレスだけではありません。日本人の国民性の短所としてここで取り上げる「集団同調性バイアス」もこれに起因します。同調圧力に関する問題のうち、本稿では同調圧力に対する考え方が異なる、以下の3タイプの紹介がメインテーマです。

  • 確固たる自我を持つ人
  • 不安を伴う過剰同調性を持つ人
  • 集団同調性バイアスを持つ人

同調圧力に屈しない人は嫌われることを恐れない

同調とは、その場での価値観の基準や判断を他人にゆだねるという特性を持つ行動様式、認知様式のことを示します。ただ、常にその認知様式に従うわけではなく、対人関係における自身にとって重要ではない判断、例えばグループでランチに行ったときに、自分の要望がないときに、ほかの人が要望として提示したメニューと同じものを頼むみたいな具合です。人に合わせるという公的自己意識がかかわっているといえます。

確固たる自我、たとえば「嫌われることを恐れない」気概を持つ人物でも、同調することがあります。彼らは自分の欲求、信念(矜持)といった自我を高い次元で把握している場合、これを用いて私的自己意識と公的自己意識の比較衡量を実践します。つまり、自分自身が心理的葛藤を抱えない程度に、周囲の状況や自分の状況を考慮した上で、自らの信念に従うかどうかを判断します。

後述する「相手の意向に従うべき」という「べき論」は、認知的共感が有効であれば感知できますので、これを感知するだけであれば、全く問題ではなく、むしろ正常です。ゆえに同調圧力が発生していると感知したときでも、われわれ日本人にとって懸念すべきことは、それに支配された「べき思考」に陥りやすくなる危険性が高いことです。が私的自己意識にとって重要な場面では、同調圧力に屈することなく、自分の意見を提示するでしょう。

同調圧力が発生しているときに、自分の意思がそれとは異なり、そしてそれに屈しないためにどうするべきでしょうか。私でしたら、同調圧力を提示した多数派のことを批判することなく、同調圧力の中身となる意見が提示された背景などを自分なりに考え、クッション話法などを駆使しながら説得するといった具合で、同調圧力に対処します。

同調圧力に屈しない人とは、俗に言えば嫌われる勇気を持つ人ということになるでしょう。ただ嫌われることを受け入れるのではなく、自分の意見の動機を論理的に説明し説得しようという気力を強く持っていることが想定できます。

HSPにみられる過剰同調性の特徴

しかし、現実には、同調圧力に対する不屈の精神を持っている人は少数でしょう。もちろん反抗挑戦性障害は論外ですし、多数派の意見が道義的に正しい場合は問題にするべきことではありません。ここでの問題は、いわば「空気を読みすぎる」ケースが多く発生することです。

「空気を読みすぎる」とは、空気を読むだけでなく、「相手の意向」を圧力として認識し、自分の欲求を抑圧し、相手、あるいは多数派の意向に従うべきと考える心理状態のことを示します。心理学の表現を借りると、過剰同調性と言いかえられます。過剰同調性と「相手に合わせる」の違いは、その行動が自分の精神衛生にとって適切になるか、あるいは「息苦しさ」というストレスを抱え込むに至らしめるか、ということになります。

過剰同調性が認められる際の心理状態は、公的自己意識と不安感情が強く結びついている状態です。正確には一般的に公的自己意識自体に不安感情が伴うといわれており、過剰同調性は、その不安感情を抑制するための「確証された自信」が欠如している状態といえます。すると、「空気を読んで相手の意向に従う」という「べき論」が不安に刺激するため、「べき思考」に陥りやすい状態になります。

不安を伴う過剰同調性が認められる人は、HSPとの関連が指摘されています。しかし、それは関連性どころか、HSPの特徴の一つであると私は考えています。自身の周囲が賛同している事柄というのがあったとして、自らの意思に従ってこれに対して否定することについて強い不安感を抱きます。たとえその事柄が自身にとって悪いものであったとしてもです。したがって、彼らは自らの意思(私的自己意識)に反して同調せざるを得ない状況に陥り、いわゆる「心の葛藤」を抱えこむようになるでしょう。

不安が伴う過剰同調性の原因といえる自我不確実感の具体例を以下のように挙げてみました。

  • 集団という相手に対して説得するための話法、交渉術に関する知識を持たない。
  • 多数派に対して説得するための気力、意欲を持たない。→ 先天的気質では気分変調性障害が挙げられる。

atama-psycho-linguistics.hatenablog.jp

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要するに過剰同調性とは、HSPという特質(気分変調症を含める)に限ったことではなく、自我が確立されていなければ誰にでもありうることです。特に思春期、青年期がこれの問題が顕著に表面化する時期に該当します。思春期や青年期の間に人生経験を重ねて最終的に自我を確立させ、自分なりに私的自己意識と公的自己意識のバランスの保ち方を習得します。このとき、同調圧力に苦しめられないようになると思われます。

日本において「息苦しさ」を感じている人が多いことについて、その状況は海外と比べて有意に高いです。その原因について単に認知的共感が備わっているのを利用していることだけとは思えません。もしそうであれば日本の「息苦しさ」は海外と同じであるはずです。

日本特有の原因について考察した際、不安を伴う公的自己意識の強化について、言語的要因があると私は考えています。詳細は後述します。

同調圧力を発する集団同調性バイアス

集団同調性バイアスの自己意識

日本人の国民性の短所として私が提示した集団同調性バイアスは、認知的共感を用いて相手、集団の意向を推測できるという行動であるため、実は国民性の長所として提示した「相手に合わせる」、「礼儀正しい」とはやっていることが同じです。

集団同調性バイアスという名前通り、認知バイアスの一つであり、悪いイメージを示します。HSPとは対照的に、「不安が伴わない過剰同調性」が認められることであるといえます。つまり、発生メカニズムについては、公的自己意識と不安感情との結びつきがを薄れていると説明できるでしょう。

集団同調性バイアスの内容をひとことでいえば、社会心理学で扱われる群集心理です。具体例を挙げると以下のようになります。

  • 匿名性が確保された(没個性化)際、非道徳的な行動を実行する危険性が高い。
  • 価値判断基準について周囲に合わせる。自分で考えられない。

集団同調性バイアスは多数派同調性バイアスともいわれています。グループの中で意見が対立したとき、多数派の意見を持つように振る舞います。腸内細菌で例えるならば、集団同調性バイアスを持つ人は日和見菌に相当します。

集団同調性バイアスは先述したHSPなどで認められる過剰同調性と比べて、結果的に少数者にならないという点で、実行している行動は同じです。しかし、事後(同調の後)にストレスを抱えうるHSPに対して、集団同調性バイアスを持つ人には事後にストレスの発生がありません。

その自己意識について集団同調性バイアスにおける欲求(私的自己意識)そのものが、「他人に任せること」であり、集団においてはこれが派生して「多数派に任せること」になります。いいかえれば、公的自己意識と私的自己意識が一致しているといえるでしょう。ただし、その一致は確固たる自我を持つ人とは全く違う内容になります。そのためHSPのように同調圧力にぶち当たってしまうということがありません。それどころか、自分が考えていることと多数派が考えていることが一致しないという事態がそもそも発生しないといえるでしょう。このことから、集団同調性バイアスでは同調圧力に対する受け止め方は、不安を伴わないどころか同調圧力を感じないと結論付けます。

集団同調性バイアスは集団を形成しているときに有利かもしれませんが、逆にこの性質はデメリットというべきでしょう。自分なりの価値判断基準について考えるということがないため、独力で問題を解決する能力が乏しいことであり、それどころか問題意識を持つこともできないと思います。この性質は群れから離れ、1人になったときに致命的であるといえます。

集団同調性バイアスはたしかに悪い側面が目立ちますが、これは標準的な人が抱えている問題といえるかもしれません。もともと人間は群れて生活を営む生物です。何でもできる人間なんてごく少数でしょう。ひとりひとりの得意分野を活かし協力しあいながら文明を作ってきました。多数決やこれを基にする民主主義も多数派同調です。

多数派に同調することのメリットとは、自分で物事を考える手間を省けることや、自分で下した決定について責任を負うことを回避できることが挙げられます。ゆえに集団同調性バイアスは無責任性、思慮の低さが伴うといえるでしょう。別概念ではあるものの、権威主義的パーソナリティや外向型性格は集団同調性バイアスと本質が同じではないかと私は感じます。

同調圧力という「べき論」

同調圧力とは過剰同調性を持つ個人が集団を形成した際に、少数者に対して「同調」させることを目的に加える心理的「圧迫」です。言い換えれば「多数派に同調してほしい」という内容の「べき論」です。これを放つ主体は、集団同調性バイアスを抱える人間であり、これを感じ取る主体は集団同調性バイアスを持たず、認知的共感が有効な人間であると私は考えます。

集団同調性バイアスを持つ人たちの私的自己意識が「多数派に同調すること」であることを踏まえると、彼らが考える協調性とは「他者との同一性」という表面的な事柄にとどまっていると思われます。そのため、他人と自分は同じであるという考えから、他人が自分と同じ私的自己意識を持つだろうという結論が導き出されます。

集団同調性バイアスを「不安を伴わない過剰同調性」であると定義づけるならば、集団同調性バイアスにおいて同調圧力を「圧力」というストレッサーとして感じ取ることはないでしょう。その一方で自分と同じ私的自己意識を持つことが必然と思い込んでいるので、「多数派に同調する」という私的自己意識を持つことを相手に求めると考えられます。

集団同調性バイアスを抱える私的自己意識を通してみれば、他人が自分とは異なる意見を提示してきた際、その行為は想定外のものなのかもしれません。このことについて不安、ストレスを感じたことが、同調圧力を発する動機なのだろうと思います。同調圧力はしばしば怒りに似た感情を伴います。その怒りとは不安の二次的感情なのだろうと思います。同調圧力とは集団同調性バイアスを持つ人物にとっての不安を解消するための防衛機制なのかもしれません。

集団同調性バイアスが抱える不安

HSPなど自我不確実感を抱える人物が同調圧力にぶち当たったときに抱える、不安を伴う過剰同調性に対して、集団同調性バイアスでは同調圧力が問題になることはないという点で不安を感じないわけですが、では本当に集団同調性バイアスは不安を感じることがないのかというと、そうではないと思います。

集団同調性バイアスを抱えている場合、内向型思考を持たないことに対する不安を抱えており、それに対して直視することから目をそらしている。このことに真摯に向き合った時に感じる不安は強いものでしょう。これを回避するための防衛機制が、価値判断基準を周囲にゆだねることや、集団における多数派に同調することのかもしれません。 

日本人の過剰同調性と日本語文法

日本社会が抱えている問題の代表格である「息苦しさ」は、自我不確実感を持つ人が感じる、同調圧力を受けたことで発生するストレスであり、過剰同調性

すなわち「空気を読みすぎる」という日本人の国民性について、その原因は海外にはない日本特有の原因があると考えています。その原因とは日本語文法、いいかえると日本語の語順です。

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 日本が抱える集団同調性バイアスから発せられる同調圧力が強いこと、不安を伴う過剰同調性といった問題を和らげるためには、個人レベルで言えば、公的自己意識が過度に高い状態を解消するためには、日本語の語順だけでなく、例えば英語やスペイン語、フランス語のような語順の言語を理解、および表出できるように習得することが有意義だと思います。そうすれば自我不確実感の解消につながり、解消できなかったとしても私的自己意識を優先できる思考様式を持てるようになるだろうと私は思います。

国家レベルでみると、日本はすでに英語教育を実施していますが、つい最近までは不十分なものでした。実施している教育内容は主に単語の暗記や文章読解、リスニングといった言語理解の訓練のみで、話すといった言語表出を訓練する機会を重視してきませんでした。これすることによって英語の語順をわがものとして習得させ、その語順で物事を考えさせることが学校教育の中で達成できると私は思います。