キーワード:実行機能、前頭前野背内側部(DLPFC)、吻側前頭前野(RPFC)、作動記憶、ネルソンコーワン、注意の焦点化、注意資源、ADHD、処理速度、頭蓋骨縫合早期癒合症
- 「ワーキングメモリ」の低下について悩んでいる人は多い
- ワーキングメモリの定義
- 実行機能① 抑制
- 実行機能② ワーキングメモリ
- ワーキングメモリの容量と「注意の焦点」
- ADHDの分析
- うつ病(および気分変調症)の分析
- ワーキングメモリが無効化される配分性注意障害の分析
- 実行機能の弱体化と無関係の精神障害
「ワーキングメモリ」の低下について悩んでいる人は多い
「ワーキングメモリ」という言葉を検索エンジンに入力してみると
「ワーキングメモリ 弱い」
「ワーキングメモリ 少ない」
「ワーキングメモリ 小さい(低い)」
と、否定的な形容詞をつけた言葉が検索候補に上がっています。ただ、これらの劣位を示す形容詞を付け加えただけの表現は、感覚的なものにとどまっており、具体性に欠けています。
このような「ワーキングメモリ」という言葉の誤用は、他の概念との混同が原因です。
atama-psycho-linguistics.hatenablog.jp
修正すると以下のようになります。
✖「ワーキングメモリ 弱い」
→ 実行機能の弱体化
✖「ワーキングメモリ 少ない」
→ 中央実行系への神経伝達物質の供給量減少
△「小さい(低い )」
→ 「狭い」のほうが適切。ワーキングメモリ容量の狭小化
ワーキングメモリの定義
ワーキングメモリは、心理学者Alan Baddeley(アラン・バッドリー)が唱えた、中央実行系(Central Excutive)の一部の心的機能を示す概念に該当します。
実は、全ての精神障害がワーキングメモリと関係があるように解釈する行為は妥当ではありません。確かに多くの精神障害ではワーキングメモリを用いる課題の成績の低下が見られます。しかし、一つのケースを除き、その成績の低下は実行機能の弱体化に起因するものです。
中央実行系とは、人間が意識して課題を完遂することを実現するために必要な、複数の脳機能群です。そして、中央実行系が担っている複数の機能の総称が実行機能と呼ばれています。
与えられた課題を実行し、完遂するためには「注意深さ」が必要です。さて、中央実行系の機能が何らかの原因で低下すると、「注意深さ」が欠落します。
注意の欠落の様相は画一的に紹介できるものではありません。実行機能に低下しているかによって、様相が全く異なります。
その実行機能の低下の様相ですが、実行機能全般が低下している場合と、一部が低下している場合の双方が存在します。ここからは実行機能の内容について紹介します。
実行機能① 抑制
当記事では、前頭前野が担っている中央実行系が持つ機能(実行機能)を、抑制とワーキングメモリに大別します。
抑制は、情動(扁桃体からの生理的欲求)の表出を抑える機能です。いわゆる理性に該当します。抑制が有効であることによって、思考においても余計な思念を思い浮かぶことが防止でき、必要な注意深さや集中力が上昇するため、与えられた課題をスムーズに遂行できます。注意制御は、行動抑制を意味します。
実行機能によって抑え込んでいる情動について考えると、大きく分けて2種類あると考えられます。ひとつめに「正」の感情に基づく情動のコントロールです。精神分析学ではリビドーと呼ばれています。そして、もう一方の種類が「負」の感情に基づく情動であり、精神分析学ではデストルドー、あるいはタナトスと呼ばれています。
情動の抑制は、課題の円滑な実行だけでなく普段の心理状態にも影響を与えます。これが機能することによって、認知的再評価、すなわち感情に振り回されず、理性的に物事を評価する能力も実現されます。これがうまくいっていない状態が抑うつの特長に該当する、認知の歪みです。
抑制機能に関係を持つといわれる脳部位は、前帯状皮質、腹内側前頭前野、腹外側前頭前野、前頭眼窩野、前頭前野背外側部などです。
実行機能② ワーキングメモリ
ワーキングメモリとは、短い時間に心の中で情報を保持し,同時に処理する能力のことを指します。会話や読み書き,計算などの基礎となる,私たちの日常生活や学習を支える重要な能力です。…ワーキングメモリは,思考と行動の制御に関わる実行機能(executive functions)の一つであると考えられています。*3
ワーキングメモリは、コンピュータにおけるメモリ、スマホにおけるRAMに該当します。ワーキングメモリは、神経伝達物質に該当する注意資源とは異なります。
人間は、通常同時に複数の思考概念を保持することが可能です。これがワーキングメモリの働きです。ワーキングメモリは脳部位の名前ではなく、認知心理学の理論上概念ですが、脳科学のイメージ研究によって脳部位が特定されつつあります。
ワーキングメモリは、従来の記憶の扱い方を否定する画期的な概念でした。従来の心理学、あるいは通俗心理学においては、往々にして記憶を短期記憶と長期記憶に分類するという二分論が展開されています。これに対して、ワーキングメモリ理論では極端な二分論を否定しました。短期記憶をワーキングメモリという概念に昇華させ、その機能を解析し役割を拡張させたことにあります。
従来の短期記憶の概念が情報を保持することを重視するものであったのに対し、ワーキングメモリの概念は、情報の貯蔵とともに、情報の処理、および複数の作業に対する制御という三つの心的過程から成り立っている。…ワーキングメモリの概念は、高次認知活動におけるこうした複雑な並列作業化で働く認知機能を表したものといえる。*4
まず、ワーキングメモリの意味について、専門書から拝借した内容を紹介します。
ワーキングメモリは脳の前頭葉を中心に働き、目標指向的な課題や作業の遂行にかかわるアクティブな短期性記憶である。・・身近な視点からみると、ワーキングメモリは日常生活を滑らかに営むための必要不可欠な”脳のメモ帳”の役割を演じている。目標に向けてプランや方略を立て、順次効率的に実行してゆくために必要とされる。
最後の下線部は、「課題関連情報を維持し、計画を立てる」*5という実行機能の役割を成立させるために、複数課題の遂行を実現するワーキングメモリが必要になることを示しています。
ワーキングメモリの役割について、オリジナルに表現すると、短期記憶の保持と同時に、短期記憶の保持と同時に短期記憶を貯蔵することで、複数の記憶を念頭に置くことを可能にします。これによって、人間が高次の脳機能を用いて、実行課題を臨機応変に実行することができます。私はこれを「脳内マルチタスク」(自作概念)と呼んでいます。
ワーキングメモリに関係する脳部位は、前頭前野背外側部、吻側前頭前野です。
ここまで紹介した中央実行系の働き、構造については、以下のウェブサイトの内容がおすすめです。
Child Research Net 子供は未来である 「38. ワーキングメモリと注意の制御 - 論文・レポート」:https://www.blog.crn.or.jp/report/04/51.html
ワーキングメモリの容量と「注意の焦点」
1 Cowanによる注意の焦点理論と「マジカルナンバー4」
ワーキングメモリの容量に関する、最も有力な学説は、ネルソンカーワン(Nelson Cowan)氏が提示した「注意の焦点」理論です。
カーワン氏はワーキングメモリの役割について「注意の焦点」という概念を用いています。ここからは、カーワン氏の理論を紹介した、苧阪先生の文章を引用します。
-
短期記憶は長期記憶の活性化したものであり、どの中でも特に活性値の高いものが注意の焦点で保持されている。*6
短期記憶が長期記憶の一部なんですね。ただ、当記事では、短期記憶と長期記憶の区別は、重要事項ではありません。
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注意の焦点には容量限界があり、これが短期記憶の純粋な貯蔵容量とみなされる。その量は、標準的な大人では4±1チャンクと規定される。*7
これは重要事項です。ワーキングメモリの容量、すなわち人間が同時に保持できる短期記憶の個数は、個人差があるものの3~5チャンクの範囲であるといいます。この"4±1"を「マジカルナンバー」というそうです。
注意の焦点の容量に関する見解に対し、対立見解や修正見解が存在しないことはありません。しかし、苧阪先生によると、このカーワン氏の見解をベースに扱う研究が極めて多いそうです。よって、心理学では圧倒的支持を得ています。
この規定値は健常者の成人の値であり、未成年では値が変動するでしょう。そして、ワーキングメモリが無効化されている場合や、逆に5チャンク以上である場合もあります。
2 「注意の焦点を外れた情報」の意味
注意の焦点を外れた情報は、時間の制約を受ける、ただし、再活性化して注意の焦点に入れば、再度意識上で利用できる。時間の制約とは、活性化されていた情報が注意の焦点から外れたとき、時間の経過に従って活性値が低下することを意味する。ただ、そうした情報は課題に無関係なほかの長期記憶よりはアクセスしやすく、再活性化して容量を補助する場合もある。*8
カーワン氏による理論に関する3番目の紹介文(上記)のなかに記されている、時間の制約を受ける「注意の焦点を外れた情報」について、注意の焦点から外れる様相を、ここでは2種類想定します。
1つ目の様相は、保持された情報が「短期記憶」としての役割を終えたことに該当します。ワーキングメモリが有効である場合、保持するべきであると判断した情報を複数保持できます。
2つ目の様相は、本来ならば短期記憶になるはずだった情報を保持しなかった場合です。これはワーキングメモリが無効、あるいは実行機能が低下している場合に発生します。このうち「ワーキングメモリの無効化」は認知心理学ではクローズアップされていません。しかし、精神医学においてはこのメカニズムによって発症すると規定される精神障害がありまして、それが後述する容量性注意障害です。
ADHDの分析
1 ADHDの問題と「ワーキングメモリの低下」の原因
ここから紹介する精神障害は、すべて「不注意状態」が認められます。そのため一見するとワーキングメモリに何らかの悪影響が及んでいるようにとらえてしまいがちですが、それは早計です。それぞれの精神障害発症の仕組み(病理)はもちろんのこと、不注意の症状の性質も異なります。
ADHDは、実行機能のうち、特に情動の抑制が低下しています。その原因は中央実行系への神経伝達物質の供給量低下といわれています。原因についてはこれと決まっているわけではなく多く想定されています。このうちの確実な原因が、ドーパミントランスポーターの再取り込みの過剰です。
この病理を踏まえ、ストラテラなどのドーパミン再取り込み阻害薬が治療薬として用いられています。ストラテラの効果は良好で、中央実行系の機能が回復します。ただ、薬を飲んだからといって疾患の解消を実現できるわけではなく、脳活動を補助する役割を担っています。
実行機能が低下しているADHDでは注意制御ができないため、ワーキングメモリを使う課題の実行が上手にできません。ADHDでの学業の支障は数多くありますが、例えば、脳内で鳴っている音楽を止められないというイヤーワームでは読解問題を解くなんて不可能です。
ADHDが抑制できない情動は、先述したうちの「正の情動」です。しかし、ADHDはしばしば適応障害に陥ることが多く、重症化した際は後天性のうつ病に移行し、後述するうつ病特有の実行機能低下が認められるようになります。
余談ですが、ADHDは中央実行系に加えて報酬系の発達にも悪影響があることが多いそうです。
2 ADHDのワーキングメモリ容量
では、ワーキングメモリの容量も狭小化しているのでしょうか。これは疑似的なものであると考えるべきでしょう。ワーキングメモリを指令するべき中央実行系が機能低下したことによって、ワーキングメモリを使った情報処理が困難になっています。すなわち、ADHDにおいてはワーキングメモリそのものは悪影響を受けていません。
言い換えると、ADHDは中央実行系が低下しているだけで、元々のワーキングメモリの容量は健常者と同じです。もしそうでないならば、の処方で効果は得られません。また、ワーキングメモリに単体で問題が有れば、言語障害も出現するはずですが、ADHDでは言語障害は認められません。
3 ADHDにおける「注意の焦点」の様子
ADHDではワーキングメモリの操作主体である実行機能が低下していることを踏まえ、「注意の焦点」を用いてADHDを評価すると、手振れが発生している状態です。
ただし、常にこの問題が起きているわけではありません。手振れを起こしている主体である実行機能は別の対象を撮影したいと考えている状態です。対象物が本人にとって本能的に好ましい状況であれば、この限りではありません。
結論を言うと、ADHDにおいては「ワーキングメモリが小さい、少ない」ではなく、神経伝達物質の供給量が少ないゆえに、ワーキングメモリを操作する主体である実行機能が低下している状態です。
うつ病(および気分変調症)の分析
1 「ワーキングメモリの低下」の原因
うつ病は、心因性精神障害に分類されます。後天的に発症する精神疾患であり、そして、理論的には万人が罹患する可能性を持ちます(防衛機制として投影性同一視などを容易に実行できる、良心無き自己愛性人格障害が罹患するかは不明ですが)。ここでの「うつ病」は後述する気分変調症と区別します。
うつ病では、扁桃体と前頭前野の働きのバランスが崩れているといわれます。もちろん正しいのですが、実行機能だけでなく報酬系や運動系など、全ての神経系が脅かされており、まさに後天的に「精神衰弱」になった状態といえます。
実行機能が低下している状態であるという点で、後述するADHDと類似しています。しかし、ADHDは「正の情動」を抑制できない状態だったのに対して、うつ病は「意欲の低下」により「正の情動」が発生しない性質に加え、負の情動を抑制できない状態になります。
うつ病は、疲労感に加え、思考回路がネガティブになったことで全般的な「意欲の低下」状態ですので、当然集中力を発揮することは困難です。「不注意症状」が出現するのは当然のことで、課題および作業ができなくなります。
投薬治療を行うことによって、脳全体の活動レベルが大方元通りになることが期待できます。うつ病でもワーキングメモリ自体の問題はなく、実行機能の回復と同時にワーキングメモリの働きも回復します。
2 うつ病における「注意の焦点」の様子
カメラに例えると、うつ病で無気力に陥っている状態は、電源が供給されていない状態といえます。そのため、レンズにピント(焦点)があっていないため、被写体すなわち自分自身が直面している問題自体を認識できなくなっています。
ワーキングメモリが無効化される配分性注意障害の分析
1 高次脳機能障害の注意障害のひとつ
これまでは、ワーキングメモリというより、中央実行系が低下している精神障害を紹介してきました。次に紹介するのは、ワーキングメモリのみが無効化している精神障害である、容量性注意障害です。
注意障害は、高次脳機能障害(脳損傷によって発生する精神障害)に分類されます。ADHDとは異なり、注意障害は後天的要因によって発生する外因性精神障害です。このカテゴリーの中にも以下のようなサブカテゴリが存在します。
- 持続性注意障害
- 容量性注意障害
- 全般性注意障害(上記2つの性質を持つ)
持続性注意障害は、ADHDと同じようなもので、集中力の維持(注意制御機能)が無効化、あるいは低下した状態です。
2 (執筆中)容量性注意障害における「注意の焦点」の様子
ワーキングメモリそのものが無効化されている容量性注意障害の病態を「注意の焦点」を用いて説明すると、そのレンズが小さくなるわけではなく、倍率が高すぎるという状態であると私は考えています。
顕微鏡でも望遠鏡でも倍率が高くなった場合、一度にとらえられる被写体の範囲が狭くなります。映していない被写体を見るためにはまた別のところを見なければなりません。
すると、意識していない限り、それ以前に映していた被写体から焦点を話さなければなりません。
もしこれだけならば人間は多くの事柄を記憶できないことになります。しかし、容量性注意障害は不注意や言語理解及び表出の軽度な障害にとどまっています。おそらくほかの脳部位が代償機能を実施しているからだと私は考えます。一方の容量性注意障害のほうの詳細は、下の記事のなかで紹介しています。
実行機能の弱体化と無関係の精神障害
自閉症スペクトラム障害については、実行機能の使われ方が特異的であるものの、問題点は使い方であり、ワーキングメモリの機能自体は低下していません。中央実行系よりさらに高次の脳部位、例えば海馬や前帯状皮質といった「社会脳」の異質性が注目されています。
狭義の学習障害(限局性学習障害)についても、全く別の認知ネットワークの異常であるため、中央実行系とは無関係です。
引用文献
苧阪直行「ワーキングメモリの脳内表現」、京都大学学術出版会、2008年初版
*2:広島大学のHP(http://home.hiroshima-u.ac.jp/hama8/working_memory.html)
*3:同上
*4:苧阪 P. 123
*5:
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E5%AE%9F%E8%A1%8C%E6%A9%9F%E8%83%BD
*6:苧阪 p. 128
*7:苧阪 p. 128
*8:苧阪 p. 129